昭和期のつくしや外観

昭和期のつくしや外観 

 

つくしや創業者の久保田勝也は大正11年、東京文明堂の創始者の宮崎甚左衛門と共に長崎から上京して東京文明堂の大番頭をやっておりました。
その後、福吉町(赤坂)で富久家としてカステラなどを販売する菓子屋を営み、それがつくしやの前身となっております。

 

 

 

 

 

  • 昭和2年 港区北青山で文明堂の協力工場としてカステラボーロの製造を開始(有限会社久保田製菓)
  • 昭和33年 下北沢に株式会社久保田製菓つくしやとして開業
    (洋菓子工場 喫茶部を併設)
  • 昭和43年 工場を港区北青山から世田谷区松原に移転、
    文明堂の手焼きカステラやカステラボーロ、かすてら饅頭、チョコレート饅頭、くるみ饅頭などを製造。

在、下北沢北口のお店はなく、下北沢南口の売店1店舗になっております。

喫茶の様子

喫茶の様子

ショーケースの写真

ショーケースの写真

 

 

 

 

 

 

 

 

つくしやは、下北沢一番街商店街と共に長年歩んでまいりました。

 下北沢一番街商店街の歴史
下北沢一番街商店街HPより抜粋
1927.4小田急電鉄 小田原線が開業する
1933.8京王電鉄 井の頭線が開業する
2つの鉄道の開業によって下北沢周辺が農村から商業地へと急速な成長を遂げます
1939東京北澤通商店街商業組合 結成
同時に商業者の職業訓練施設(そろばんや習字を学習する場所)として「店員道場(てんいんどうじょう)」が設立された
1941ヒットラーユーゲント(ナチス党内の青年団)が商店街及び店員道場を視察
第二次世界大戦終戦後、空爆の被害が大きかった地域から、多くの商業者が空爆の被害の少なかった下北沢へ移り住むようになります
これによって下北沢は、商業地としてさらに大きく成長していきます。
1949戦後の商業活動の復興を目指し「努力連盟(どりょくれんめい)」を発足させる。
中元売り出し、歳末売り出し、温泉招待、潮干狩り等といったイベント・企画を実行。商業地域としての復帰を目指す。
旧商店街事務所婦人部が発足する。
1956.8下北沢専門店会(しもきたざわせんもんてんかい) 発足。
(専門店会とは現在のクレジット業を行うような組織のこと)
1961.5青年部が発足する
1964.6.19下北沢商店街振興組合 設立
世田谷区で3番目の法人格をもつ商店街に
(当時約45店舗)
1965.5商店街名称を下北沢商店街振興組合から下北沢一番街商店街振興組合に変更する
1966.8明治100年記念の行事として
下北沢阿波おどりが始まる
1970.1チャリティー餅つき大会が始まる
1972.3商店街事務所 落成
1972.7一番街 歩行者天国が始まる
1976.2しもきた天狗まつりが復活
1979.6旧街路灯が完成する
1980.10「日本商工会議所会頭賞」を受賞
1989.5しもきたスタンプ事業部 発足(現在は行っておりません)
2001.12商店街憲章を制定
2006.9NPO法人せたがや子育てネット・世田谷区と三者協同事業で、子育て支援の拠点コミュニティカフェ“ぶりっじ”を一番街事務所2Fに開設(平成22年3月終了)
2009.12新しい街路灯・アーチ・防犯カメラ・街路放送システムが完成。
LED灯採用、太陽光・風力発電式のハイブリッド型でCO2を70%削減した地球に優しいECO街路灯へ。
2011.4株式会社オープンイノベーション設立。
シモキタ オープンイノベーションは、下北沢一番街商店街振興組合が平成23年3月31日に経済産業省の中心商店街活性化事業計画の認定を受け「新たな街の魅力づくり・イベントによる「シモキタ オープンイノベーションタウン事業」を展開していくために開設したシモキタ活性化のための活動交流・情報発信拠点です。
2012.12火災初期消火用のスタンドパイプを設置。
街路灯への設置は
全国初!
2013.2世田谷消防署の指導のもと世田谷区、消防団、町会の協力のよりスタンドパイプを使っての消火訓練を行う。